役員に株を渡してしまっている
勝田社長(仮名71歳)は頭を抱えていた。会社は祖父の代から続く菓子メーカーで、名前を聞けばたいていの人が知っている老舗である。
最近では、海外からの観光客がおみやげの定番として爆買いしていくなど、マスコミに取りあげられる機会も多く、業績好調だ。首都圏などへの出店をあえてひかえ、地元の企業としてブランドカを養うなど、手堅い経営戦略が功を奏したのだ。
勝田社長は70歳を超え、そろそろ一人息子に社長職をバトンタッチしたいと考えるようになっていた。しかし問題は、会社の株を自分以外に複数の人間が保有していることだった。
株の80%は勝田社長が保有していた。これは事業承継税制を使って、息子に渡すことができるだろう。
ここまではいい。でも妻が保有している10%と、数人の役員が保有している10%を息子に集約する方法がわからなかった。
株の分散が、将来的なトラブルの原因になるという話は、先日参加した、ある経営セミナーで知った。
息子に会社を任せる以上、将来的な不安材料は払拭した形で渡したい。
会社を株式化したとき、「がんばってくれたお礼」の意味を込めて役員たちに株をわけ与えたのは勝田社長自身の判断だったのだが、いまにして思えば浅慮だったかもしれない。
会社の顧問税理士に相談してみたが、「法人税がメインで相続は詳しくない」とのこと。だれに相談したら…。
待てよ、先日のセミナーで講演していたコンサルタントはどうだ。主催者に問い合わせれば、連絡先はわかるはずだ。事業承継のことは、事業承継の専門家に聞くのがいちばんだろう。

妻が保有している株も移せる
「奥さんの株についても、事業承継税制で息子さんに移すことができますよ。平成30年の改正で、複数の人からの譲渡が可能になりましたから」
「事業承継税制は、社長と後継者の1対1」と思い込んでいた勝田社長は、コンサルタントの話に驚いた。
「社長から息子」というように株を渡す主軸がはっきりしていれば、それに付随する形で妻の株も移せるというのだ。「なるほど、制度というものは最新情報を知っていないとダメだな」と痛感した。
「それなら…」と勝田社長は勢い込んでコンサルタントにたずねた。
「複数の人間から譲渡が可能ということは、役員から息子に事業承継税制を使って株を渡すこともできるのですか?」
「ええ、できますよ」。そう言った後、コンサルタントはこう付け加えた。
「ただし、大きな落とし穴がありますけどね」。
平成30年の改正により複数の人から株を後継者に渡せるようになった。
それは親族でも、赤の他人である役員などからでもいい。社長、妻、役員に分散している株を、まとめて息子に移すことができる。これで問題解決ではないのか?
しかし、コンサルタントの話を聞き終ると、勝田社長の考えは変わった。
そして「専門家はそこまで考えるのか」と驚嘆した。その話を要約すると次のようになる。
役員の株を移すとトラブルも
仮に事業承継税制の特例を使って、勝田社長、妻、役員のすべての株を勝田社長の息子に移したとする。
ここまでは大きな問題はない。問題は役員たちが亡くなって、それぞれの親族間で相続が発生したときに起こる。
たとえば役員A氏が、自分がもっている株を勝田社長の息子に贈与したとしよう。事業承継税制を使ったので贈与した人が亡くなると、今度は相続税の問題が発生する。
勝田社長の息子も、相続の当事者ということになり、相続税の申告に参加することになる。すなわちA氏の親族は、赤の他人である勝田社長の息子に、自分たちの相続内容をすべて知られることになるのだ。
それだけではない。役員A氏の子どもが相続税の計算をする時、勝田社長の息子が保有する株の価額が反映されることになる。
「役員が持っている株はわずかなので、本来であれば、少数株主ということで相続税の評価は配当還元方式となり、低いのです。ところがそれを会社の後継者がもらったことによって、支配株主の持ち株は原則的評価方式ですから、非常に高くなります。非常に高価な株を贈与したということで、A氏の子どもたちはその税金を負担することになるのです」
役員A氏の子どもにしてみれば、もらってもいない株のために、高額な税金を納めることになる。
とうてい納得できるはずがない。「便利な特例のようですが、役員たちの持ち株には事業承継税制を使わないほうが賢明でしょう。役員の株については、社員持株制度を利用するなどして、将来の息子さんの経営権に影響がおよばないようにするのがいいでしょう」
コンサルタントの話に深くうなずきながら、「専門家に相談してよかった」と勝田社長は安堵していた。